第 142 回

比較でわかる違いに、悩まされないように

奈良盆地の北にある大和郡山は、昔から「金魚のまち」として知られている。享保九年(一七二四年)、柳沢吉里が甲斐の国から郡山藩へ移ってきたとき、家臣が金魚を持ってきたのが、はじまりと伝わる。幕末には藩士の副業となり、明治に入ってからは、農家にも広まった。この土地には、もともと田畑を潤すため池が多く、そこに湧くミジンコが、金魚の稚魚のちょうどよい餌になったという。

町を歩くと、田んぼかと思うような四角い水面が、あたり一面に広がっているところがある。そのすべてが、金魚を育てる池である。ときおり、そのそばを、近鉄の電車が通りすぎていく。池では、いろいろな金魚が育てられている。尾びれの長い琉金や、背びれがなく、ずんぐりとしたらんちゅうのような、高級金魚と呼ばれる品種もあれば、夏祭りの金魚すくいでおなじみの、小さな和金もいる。この町で育つ金魚の六割あまりは和金で、その多くは、その年に生まれた「小赤」と呼ばれる魚たちだ。

金魚は、卵からかえって半月ほどたつと、尾びれの形で選り分けられる。それを何度もくり返し、形の良いものだけが残されていく。毎年春、桜が満開になるころには、柳澤神社で品評会が開かれ、育てた人たちが、自慢の魚を持ち寄る。一方、夏になると、この町では、全国金魚すくい選手権大会が開かれる。およそ千匹の金魚が泳ぐ水槽の前で、一枚のポイを手に、三分間で何匹すくえるかを競う。一九九五年に始まった大会である。

他人と比較するなど、とかくものごとを『比較』することが 人生における大いなる悩みや、苦しみをもたらす。

しかし一方で、比較そのものは 人生において重要な局面もある。

比較することで、例えば 高価なものと、安価なものの違いがわかったり、 便利なものと、あえて時間・手間をかけるものの 違いがわかったりする。

大事なのは、比較することでわかる 『違いに悩まされないようにする』ことである。

夕方、日が生駒の山並みのほうへ傾くと、池という池が、同じ空の色に染まっていく。らんちゅうの池も、小赤の池も、遠くから見れば、もう見分けがつかない。池のわきの道を、小さなビニール袋をさげた子どもが、ときどき立ち止まりながら、家のほうへ帰っていく。袋の中では、一匹の小赤が、夕日を受けて、くるりと向きを変える。子どもは、その魚に、もう名前をつけている。

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