奈良の静かな日々から、人生の知恵をお届けします。
私は、人生約50年において、世界中の様々な土地を訪れ、そして住んできました。そして、今ここ奈良で静かに暮らしています。
この静かな奈良で、日々感謝に満ちた生活を送る中で、これまでの人生で学んだ教訓や、生きる知恵を「今日のひと言」としてみなさんと共有したいと思います。
人生は、長い長い「旅」です。これから一緒に長い人生という名の「旅」を楽しみましょう!!🌿
🇬🇧 English version / 🇹🇼 繁體中文版
第 090 回
派手なことはしなくていい。小さな一歩でも、日々コツコツと続けるだけで何かを成し遂げることはできる。一見、遠回りしている様で実はそれが1番の近道。
般若寺(奈良市)——華やかに見える一面の花畑も、その正体は無数の小さな積み重ね。遠回りに見えたその道のりこそが、いちばんの近道だったのかもしれない。
第 089 回
やる気と希望を胸に何か行動を起こしたはずだ。しかし、気がつくと周囲と比べてしまい、「もっと頑張らないと。」とか、「それに比べて自分は…。」と焦る。こんなはずじゃなかった...。しかし、あなたはあなたのペースでいい。あなたは、そのままで素晴らしい存在なのだから。
喜光寺(奈良市)——蓮は、誰かと開花を競っているわけではない。ただ、自分の時間を生きているだけ。それだけで、もう十分に美しい。
第 088 回
人生振り返れば、波乱万丈の人生だった?しかし、苦悩や、喜びも全て含めて、今までの人生があったからこそ、今の自分がある。そんな自分の人生に感謝。さあ、今日も新たな人生の1ページ。かけがいのない今日という日を楽しもう。
帯解寺(奈良市)——誰の人生も、山あり谷ありの道のりを経て、今日という一日にたどり着いている。
第 087 回
永遠のテーマ「人は何故この世に生まれて来たのか?」。他者貢献の為——それが私なりの答えである。以後の人生は、他者貢献の最適解を探す旅になるだろう。
東大寺・大仏殿(奈良市)——大仏の右手は、今も何かをそっと差し出すような形で止まったままである。
第 086 回
人との出会いが人生を変える。恩返しの為にもその人の役に立ちたいと思うのは自然なことだが、その想いが強すぎると独りよがりになる。かといって想いを滅するのも寂しい。程よく、さりげなく、その人の為になれるといい。
采女神社・猿沢池畔(奈良市)——誰かのためを思う気持ちに、決まった形はない。ときには、そっと向きを変えるだけの、小さなやさしさでいい。
第 085 回
人生に『遅すぎる』ということはない。極論的には、この世を去る直前でも何かに気づけたのなら、それでも遅くはない。もし、それよりもずっと早く気づけたのなら、なお良しである。
東大寺・鐘楼(奈良市)——あの鐘の音は、今日もまた、誰かの心に静かに届いているだろう。
第 084 回
身近な誰かから反対された時は、まずGive&given(与えよ、さらば与えられん)の精神で寄り添い、次に黙々と自分の姿勢を背中で見せ、機会が来たら想いを伝える。理解が得られなくても相手を責めず、ただ繰り返す。
手向山八幡宮(奈良市)——手向山を後にしても、あの木漏れ日の涼しさだけは、しばらく肩の上に残っていた。
第 083 回
自分の人生は『航海』、身体は『船』、心はその船の『船長』。自分は世に問う『商品』であり、自分株式会社の『社長』。会社は自分の唯一の『得意先』。海図も設計図も事業計画もない。どう創るか、それはあなた次第。
大和郡山城跡の堀(大和郡山市)——次にその上を渡る舟が、どんな帆を掲げ、どこを目指すのか、それを決めるのは、水でも堀でもない。
第 082 回
誰かに裾を踏まれてる? いえ、自分で自分の裾を踏んでいる。誰かに捕らわれてる? いえ、自分で鳥かごに入っている。自由になりたい? じゃあ、行動するだけ。あなた以外に、あなたをさえぎるものはない。
転害門(東大寺)——動いたのは、門ではなく自分の足だったのだと、遅れて気づく。
第 081 回
孫子の言葉『彼を知り己を知れば百戦あやうからず』。まず『相手を知る』が先に来て、その後『自分を知る』が来る。物事を座学のみならず、実践で触って知る。
相撲神社(桜井市)——相手を見つめることは、いつしか自分自身を見つめることにもつながっていたのかもしれない。
第 080 回
我々は、『経験』する為に生まれて来た。習うより慣れろである。最初は下手でも構わない。行動を起こした結果、徐々にモノになって行く。
赤膚焼の窯元(大和郡山市)——教わったことを、本当の意味で自分のものにするのは、いつも手を動かし続けた者だけなのかもしれない。
第 079 回
人それぞれ、その人にとってのベストなタイミングがある。本人の"タイミング"にならないと人は動かない。見守ってあげよう。
氷室神社(奈良市)——早くても遅くても、それはその木だけのリズムだ。花が咲くその瞬間まで、ただそこに佇み、静かに見上げていたい。
第 078 回
自分がどうしても越えられないと思い込んでいた壁。その壁を高く見せていたのは他でもなく、自分自身である。
一刀石(奈良市柳生)——あの夜の暗闇の中で振り下ろされた一太刀は、確かに何かを両断した。今も静かに、二つに裂かれたまま、そこに横たわっている。
第 077 回
自分の『限界』を決めるのは、外部要因でも、環境でもなく、自分自身である。自分で『限界』を設けなければ、可能性は∞(無限大)である。
大台ヶ原(吉野郡上北山村)——目に映る景色に境界がないのと同じように、心に描く可能性にも、本当は境界などないのかもしれない。
第 076 回
この世に要らない人間なんて1人も居ない。己の定規で、人を裁いてはいけない。他人はあなたを映す鏡だ。
十輪院(奈良市・ならまち)——誰かを裁く声は、そこには一つもなかった。ただ、それぞれがそこに在り続けているだけだった。
第 075 回
この世は成るべくして成っている。又、同じ場所であっても永遠はなく、常に変化していく。だから、1日1日が『一期一会』なのである。
頭塔(奈良市高畑)——かつての姿を知らずとも、この場所は今日も確かにここにある。それでいい、と石段は語っているようだった。
第 074 回
昨日と比べて進んでいない様に見える景色、でも少し足元を見てみよう。半歩であっても進んでいることに気づくだろう。
正暦寺(奈良市・菩提山)——静かな山の中で、時間はゆっくりと流れる。急がなくても、道は続いている。
第 073 回
人生はマラソンの様なもの。頑張り時はペースを速め、休み時はペースを緩める。自分でペースをバランスよくコントロールして人生という長いレースを走りきる。
葛城古道(御所市)——道の長さは、歩き出す前から決まっている。変えられるのは、歩き方だけだ。
第 072 回
あなたの存在が、あなたの笑顔が、あなたの何気ないやさしさが——わたしの心を癒し、世界に安らぎをもたらす。
依水園(奈良市)——あなたがここにいてくれること、それがすでに、誰かの心の光になっている。
第 071 回
新しい事をすると起きることの1つ——失敗を糧に、始める前より成長している。
西大寺(奈良市)——小さな一歩は、いつだって予期しないものを連れてくる。
第 070 回
まずは、知ってみよう。知ることが不安を和らげ、新しい挑戦への勇気になる。
般若寺(奈良市)——知ることの入口は、どこにでも用意されている。
第 069 回
『他者貢献』は、『自己犠牲』や『滅私奉公』ではない。まずは、自分を満たそう。
吉野水分神社(吉野山)——自分が満たされて、初めて他者に貢献できる。
第 068 回
" 人の振り見て我が振り直せ " には、2つの意味がある。
吉城川(奈良公園)——周囲は自分を映す鏡である。
第 067 回
「誰誰のせいで、私の人生こうなった。」——これらは、自分の人生を他人に委ねる"呪い"の言葉。
當麻寺(葛城市・二上山のふもと)——自分の人生を操りたいなら、今すぐ使用をやめよう。
第 066 回
「物事がうまく進まない。」 そんな時は、大いにもがこう。
大峰山(吉野郡・修験道の聖地)——安寧や、ぬるま湯は、退化するピンチ。
第 065 回
あなたは今、何らかの苦境にいるかも知れない。
高見山(東吉野村)——だから、今、この瞬間の苦しみをも楽しもうじゃないか!!
第 064 回
『過程』にこそ、人生の醍醐味がある。
大安寺(奈良市)——過程こそ日常であり、よって人生そのものである。
第 063 回
" もし、自分がいきなり何もかも出来る万能な人間だったら。 "
柳生街道(奈良市東部)——『出来ない』を努力で『出来る』に変えて行く過程こそ、面白いのだから!!
第 062 回
『形あるものはいつか壊れる。』『この世に永遠なものなどない。』
飛鳥寺(明日香村)——恐れる必要はない。明けない夜はない。そして、夜明け前が一番暗い。
第 061 回
「最近は色々起きるね。以前は平和だったのに…。」
飛鳥川(明日香村)——変化こそが普通であり自然の摂理。平和で穏やかな日こそが、実は奇跡なのだ。
第 060 回
時々『引き算』(= 手放す。0にする)のススメ。
圓成寺の静寂な境内——多くの「足し算」で全身がんじがらめなら、時には「引き算」をしてみよう。
第 059 回
大事なのは、 『忍耐と継続』。
秋篠寺の苔の境内——焦ってやると、筋が切れたり、筋肉を傷める。大事なのは忍耐と継続。
第 058 回
『是々非々』で生きるだけで、人生ずいぶん楽になる。
明日香村・稲渕の棚田——是々非々は、臨機応変。バランスの取れた生き方。
第 057 回
我々は、それぞれの人生を乗りこなすパイロット。
葛城山の山頂から奈良盆地と大阪平野を一望——どんな航路をたどるのか、決めるのは、あなたの自由だ!地図はない。あなたが自由に描けばいい。
第 056 回
自分を基準に、人を見てはいけない
大和三山の情景——人はどうしても無意識に自分を基準にして人を見てしまう。時には見下し、時には劣等感を感じる。人は人、自分は自分。人も自分も尊重すれば良い。
第 055 回
いつもの生活こそ『一期一会』の精神で生きよう!
奈良公園の鷺池に浮かぶ浮見堂——日頃なにげなく会っている人、通っている道、通っている場所との別れは、ある日突然やって来る。だから、いつもの生活こそ一期一会の精神で生きよう。
第 054 回
だからこそ、" 仲間 " が尊い。
白毫寺の丘から奈良市街を見渡して——人は1人で生まれ、1人でこの世を去る。だからこそ仲間が尊い。あなたの周りの仲間を尊重し、たいせつにしよう。
第 053 回
" 他人の人生を生きてはいけない "
新薬師寺の十二神将で——他人の期待に応えようとしない。他人に期待しない。これを実践するだけで人生劇的に楽になる。
第 052 回
今日も無事起きることが出来た。
橿原神宮の夜明けで——起きる=新たに生まれる。みんな新しい誕生日おめでとう!!
第 051 回
光と影。陽と陰。
春日大社の参道で——どちらにフォーカスするかは、自分次第。
第 050 回
千里の道も一歩から
談山神社の石段で——小さなことから始めるのがコツ。
第 049 回
かけがいのない今を楽しもう。
山の辺の道で——日本最古の道。過程(プロセス)こそ、旅の本質であり、人生そのもの。
第 048 回
鳥かごから出よう。扉はずっと開いているのだから。
鳥見山で——735mの山頂から大和盆地を見下ろすと、ふもとの道が細い糸のように見える。
第 047 回
そうだ、あの人に手紙を書こう。
今井町で——江戸の格子戸が連なる路地に、便利とはまったく別の時間が流れている。
第 046 回
貢献出来ていない、なんてことはない。
石上神宮で——深い杜の中、神の使いたちは誰に頼まれるでもなく、今日も境内を歩く。
第 045 回
笑うから楽しくなる。
矢田寺で——梅雨の雨の中、一万株のあじさいが静かに咲く。
第 044 回
全ては偶然ではなく、『必然』ということになる。
佐保川で——水はひとつの流れとして、山から海へと続いていく。
第 043 回
損得への執着を断った時、心の豊かさが整ってくる。
正倉院で——1300年、静かにそこに在り続ける宝物の佇まい。
第 042 回
ただ居てくれるだけでいい。
春日山原始林で——見えない根が、静かにつながっている。
第 041 回
周囲の目を気にせず、あなたらしく在れば良い。
ならまち・元興寺で——千三百年、ただそこに在り続けた瓦。
第 040 回
いつでもそれを言い切れる様に一瞬一瞬を生きよう。
東大寺・二月堂で——一瞬の火の粉が教えてくれること。
第 039 回
何かに行き詰った時、そっと顔を上げ、一歩後ろに下がってみよう。
飛鳥の甘樫丘で——視野を広げると、問題はいつの間にか消えている。
第 038 回
形あるものは、いつか崩れる。それは新しい創造であり、始まりである。
室生寺五重塔の前で——崩れることは、終わりではない。
第 037 回
『○○したいからする。』これに勝るものはない。
東大寺南大門の仁王像の前で——義務か、想いか。
第 036 回
" 完璧 " を目指すことなかれ。人生は、常に成長を続ける『旅』。
長谷寺の登廊で——歩き続けることそのものが、豊かさになる。
第 035 回
人と比較することなかれ。あなたにはあなたにしかない " 輝き " がある。
大神神社で——あなたの輝きは、あなたにしか出せない色をしている。
第 034 回
また失敗しちゃった?良いじゃない。それは、挑戦し、行動している証左。
平城宮跡で——失敗を悔やむ夜もあっていい。また動き出せるなら、それでいい。
第 033 回
他人や周囲は、自分を映す"鏡"。相手を疎ましく感じた時こそ、「自分が相手に同じ想いをさせていないか?」と思い返そう。
飛鳥で——世界は、自分が映し出す色で染まっている。
第 032 回
あなたはわたし。わたしはあなた。お互いに与える(GIVE)の精神があふれると、あなたの周囲は幸せに満ちて行く。
唐招提寺で——与えることは、世界を広げること。
第 031 回
何かをがむしゃらに追い求めていた頃、何故か物事が上手く行かなかった。執着を断った時、人生が好転し始めた。確信した。『NO 執着 GOOD Life !!』
興福寺五重塔の前で——手放した先に、軽やかな風が吹く。
第 030 回
今、この瞬間を楽しみ、精一杯生きよう!未来は、その時になれば、"いま"になる。つまり、"いま"を楽しめなければ、楽しめる時は未来永劫来ることはない。
1300年以上もここに立ち続ける薬師寺東塔の前で——「あなたは、いまを生きているか?」
第 029 回
『他者貢献』=『滅私奉公』ではない。まずは自分を軸とし、自分を満たすことが大事。『エゴ』ではなく『自己』を持つこと。『自己』が無ければ、他人に優しくすることすら叶わない。
1300年、ただ自らの軸を持って在り続ける東大寺の大仏——「あなたは、自分の軸を持っているか?」
第 028 回
『無い』ものを嘆くより、『在る』ものに感謝しよう。いかに沢山の『在る』ものに囲まれているか気づく。
若草山の丘に立つとき、何もないはずの景色の中に、実はたくさんの「在る」ものが満ちている。
第 027 回
誰かに敷かれたレールを歩かされてきた? そうではない。やはり自分が選んで来たのだ。あなたの前に道はなかった。あなたが歩んできたところに、あなただけの道が出来た。自分の人生は、自分の責任。
吉野山の参道——一本ではない道を、自分の足で一歩ずつ登っていく。振り返ったとき、そこにあなただけの道がある。
第 026 回
幸せはなるもんじゃなく感じるものだ。時間はあるもんじゃなく つくるものだ
法隆寺・1400年の時の前に立つとき、「感じる力」と「つくる意志」が静かに問いかけてくる。
第 025 回
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたかです。」同じ場所・同じ相手でも、毎日の一期一会に感謝し、心を込めて接したい。
6度の渡航の末、失明してもなお心を込め続けた鑑真和上——唐招提寺が静かに伝える。
第 024 回
人は自分をフィルターとして通し、世界を見ている。ついつい自分の価値観で周囲を裁いてしまうが、周囲には周囲の価値観がある。それを意識するかしないかで、状況は大きく変わる。
薬師寺の東塔と西塔——同じ空の下に並びながら、見る人によって全く違うものに映る。
第 023 回
「天は、その人に乗り越えられない問題を与えない。」祖母が贈ってくれた言葉。試練や困難は磨く砥石——ならば、それらと戯れようじゃないか。
若草山は毎年炎に焼かれ、そして春、一番鮮やかな緑で蘇る。
第 022 回
いつもそばに居てくれて、いつも朗らかに笑ってくれる。いやなことがあっても表情1つ変えずに微笑んでいる。誰よりも経験・知見があり、なのに誰よりも頭が低い。そんなあなたのように、わたしはなりたい。
奈良の街角にひっそりと佇むお地蔵さん——何も語らずに、ただ存在で教えてくれる。
第 021 回
人生において「もし○○だったら」「あの時△△していれば」というタラレバは存在しない。肯定・否定の問題ではなく、そもそも存在しないのである。我々の人生は、成るべくして成っている。
春日大社の石灯籠——何百年もその場所に立ち続けてきた、それが答え。
第 020 回
人生の「不自由」を「自由」に変える方法は2つしかない——克服するか、手放すか。(1)は足し算、(2)は引き算。実は、より容易なのは(2)の方だったりする。
春日大社の「放生池」のほとりで——私たちが背負うものの中に、手放してもいいものが混じっているかもしれない。
第 019 回
この世に、万人に通ずる「正解」はない。人の数だけ「正解」はある。他人を否定し、自分の「正解」や「正義」を主張するのは、ナンセンス。他人の「正解」や「正義」も尊重する。さすれば、この世は劇的によくなる。
春日大社と興福寺——神と仏が1000年以上隣り合う奈良は、それを千年かけて証明し続けている。
第 018 回
「天知る、地知る、己知る」——誰も見ていないと思っても、天が知り、地が知り、自分が知っている。しかし裏を返せば、どんな孤独な夜も、必ず誰かが見守っていてくれる。
春日大社の石燈籠は、千年もの間、誰に見せるでもなく、ただそこに在り続けてきた——奈良はそういう場所だ。
第 017 回
「失敗を避ける」「失敗を嫌がる」「失敗を忌み嫌う」——これらは、成功を遠ざける行為。何故なら、成功は失敗からしか生まれないから。もっと、失敗と戯れよう!!
法隆寺の瓦も、東大寺の大仏も、数え切れない失敗の先に生まれた——奈良の宝がそれを証明している。
第 016 回
「限界」を決めるのは、年齢でも性別でも環境でもない。「限界」を決めるのは、自分自身。自分で「限界」を決めなければ、永遠に進化し続けることが出来る。
1300年の時が積み重なる奈良の地で——時代を動かしたのは、いつも限界を自分で決めなかった人たちだった。
第 015 回
「できるか、できないか?」ではなく、「やるか、やらないか?」。「やればできる」し、「やらなければできない」——ただそれだけだ。
五月の奈良、参道で立ち止まって気づいた——前に進めたのは、いつも「やろう」と決めたあの一瞬だった。
第 014 回
この世に「当たり前」はない。唯一あるとしたら、この世に「当たり前」はないという事実が "当たり前"。今この瞬間に生きているのも、"当たり前" ではない。感謝。
いつもの奈良の朝——でも本当に「いつも通り」なのだろうか。
第 013 回
「運命の出会い」の様な大それたことを想像しがちな「一期一会」。しかし、それは何気ない日々の生活、一瞬一瞬に溢れている。今日という日、いまこの瞬間は、2度とない貴重なもの。『日々是一期一会』の精神で、精一杯生きよう!
大和西大寺駅のホームで、ヨーロッパからの小さな旅人と交わした、ほんの一瞬の笑顔と手振り。
第 012 回
「今日も寒く冷たい夜が明け、朝目覚めることができた。今あなたがどんな苦しい、つらい時であったとしても、それはいずれ終わる時が来る。『明けない夜はない』。小さな1歩を踏み出すことで、夜明けはすぐにやって来る。」
寒い夜明け前に目覚め、カーテンの端に差し込む光を見た朝のこと。
第 011 回
「ありがとう。」「ごちそうさま。」日頃の何気ない時に、家族・友人・バスの運転手・お手洗いの清掃員の方……自分と関わる全ての人にお声がけしてみよう。あなたの何気ない一言が、世界を良くする。そして、あなたの人生も豊かにする。
駅のお手洗いで清掃員の方に自然と「ありがとう」と言えた、ある朝のこと。
第 010 回
「30年前、米国で出会ったブラジルの方——定年後に学び直しに来られていた。今自分がその年齢に近づいてきた。やはり私もここで学べて、とても幸せだ。生涯、私の『学びの旅』は続く。」
奈良を行き交う世界中の旅人を見て、ふと思い出した——30年前の記憶。
第 009 回
「あなたの人生は、あなたが使う『言葉』で出来ている。日頃の何気ない瞬間に、『ありがとう』と言ってみよう。やがて、『ありがとう』があふれだす。そうなれば、人生も変わっていく。」
五月の奈良の参道で気づいた——毎日使う言葉が、いつしか自分という人間をかたちづくる。
第 008 回
「もし、あなたが悩み多き人生に苦しんでいるのなら、苦しむことなかれ。きっと、大きな気づきや、理解を得られるであろう。悩みなき人生に、気づきもなし。——大疑大悟」
世界中から人が訪れる奈良で、ふと思い出した——台湾の友人が贈ってくれた四文字。
第 007 回
「自分は、自分の人生の『創造主』である。ゆえに、それぞれが自身の人生に『責任』を負い、同時に、それぞれの『自由』を有する。自分の『責任と自由』を理解する人は、人の『責任と自由』も尊重することが出来る。」
ゴールデンウィークの奈良——古都の片隅で、静かに立ち止まった朝。
第 006 回
「どうやったら、人に優しくなれるのか。キーワードは、『共感力』と『想像力』。多くの苦労を重ねた人は、他の人の想いに共感する力を有し、相手の気持ちを想像する力がある。」
夜明け前の奈良——鳥の声だけが聞こえる早朝の静かな問い。
第 005 回
「人生は、自己を探す旅。自己を見つけ、自己を満たすことが出来れば、人に優しくなれる。重要な点は、エゴではなく、セルフ。」
奈良・春日大社の参道で鹿を見ながら——自己を探すということ。
第 004 回
「道中こそ『旅』そのものだ。時には各駅停車や寝台特急で、人生という『旅』を楽しもう。」
大雨と雷の奈良の朝——焦る自分への自省。
第 003 回
「答えは自分の内にある。外に目をやるのはそろそろ止めて、自分の内を見つめよう。そうすれば、心が軽くなる。」
雨の奈良——自分と向き合う、静かな朝。
第 002 回
「我々はなぜ"不安"になるのか?それは、『知らない』からだ。我々の『知る』旅は、これからも続く。」
まほろばの国、奈良——早朝の静けさの中で。
第 001 回
「自分が変われば、他人が変わる。自分が変われば、全てが変わる。」
奈良の静かな朝——50年間の人生を、振り返って。