奈良の静かな日々から、人生の知恵をお届けします。
私は、人生約50年において、世界中の様々な土地を訪れ、そして住んできました。そして、今ここ奈良で静かに暮らしています。
この静かな奈良で、日々感謝に満ちた生活を送る中で、これまでの人生で学んだ教訓や、生きる知恵を「今日のひと言」としてみなさんと共有したいと思います。
人生は、長い長い「旅」です。これから一緒に長い人生という名の「旅」を楽しみましょう!!🌿
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第 150 回今日の『良いこと』を、3つ挙げてみよう
御蓋山(奈良市・春日大社の背後)。遣唐使が旅立ちを前に航海の無事を祈った山。唐へ渡った阿倍仲麻呂は、三十六年後、帰国の船出を前に「三笠の山に出でし月かも」と故郷の月を詠んだと伝えられる。中秋の名月の前夜、待宵に。
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第 149 回長い目で見て、ものごとに当たろう
三輪素麺(奈良県桜井市三輪)。大神神社の南、三輪山の麓の工房で、寒い時期にだけ木枠の麺がひととき屋外の風にさらされる。出来たばかりの麺は出荷されず、蔵で夏を越してから初めて「ひね物」として世に出る。
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第 148 回表裏一体は、対立ではなく両立
九品寺と葛城古道(奈良県御所市楢原)。行基が開いたと伝わる寺で、境内には千体石仏が並ぶ。秋のお彼岸のころ、古道沿いの田の畦には彼岸花が咲く。彼岸花は花と葉が同時に現れず、「葉見ず花見ず」とも呼ばれる。
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第 147 回崩れたバランスは、自分で合わせる
円成寺(奈良市忍辱山町)。柳生街道沿いの山あいに建つ寺。楼門の前には、平安時代末期に造られた浄土式庭園が残る。明治以降、県道によって損なわれていた景観は、昭和三十六年の県道移設と昭和五十一年の復元改修を経て、もとの姿を取り戻した。
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第 146 回見返りを求めない、Giveの精神で
佐保川の桜並木(奈良市)。下長慶橋からJRの鉄橋のあたりまで、およそ五キロ、千本ほどの桜が堤に続く。幕末の奈良奉行・川路聖謨が植えさせた桜は、今も「川路桜」と呼ばれている。
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第 145 回不安は、知らないから生まれる
みたらい渓谷(奈良県吉野郡天川村北角)。天ノ川の支流である山上川の下流、川迫川が合流するあたりに開ける谷。大小の岩の間を水が幾筋にも分かれて落ち、淵はエメラルドグリーンに輝きながら、底の石まで透けて見える。
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第 144 回打ち負かして、何になるのだろうか
今井町(奈良県橿原市)。飛鳥川にかかる蘇武橋を渡ると、白壁と格子の家並みが続く。戦国の世には濠と土居に囲まれた寺内町で、天正三年(一五七五年)、濠を埋めることを条件に武器を置き、自ら治める町として栄えた。
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第 143 回果たせなくても、落胆することなかれ
月ヶ瀬梅林(奈良県奈良市月ヶ瀬)。名張川の谷の斜面に梅が広がり、大正十一年(一九二二年)に日本で最初の名勝のひとつに指定された。かつては、紅花染めに欠かせない「烏梅」をつくるために、梅が植えられていた。
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第 142 回比較でわかる違いに、悩まされないように
大和郡山の金魚池(奈良県大和郡山市)。江戸時代の享保九年(一七二四年)にはじまったと伝わる、金魚養殖のまち。田んぼのように広がる池で、高級金魚から、金魚すくいでおなじみの小赤まで、さまざまな金魚が育てられている。
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第 141 回継続でしか、到達できない場所
下多古村有林(奈良県川上村)。吉野林業発祥の地とされる村に残る、日本で最も古い部類の人工林。江戸時代のはじめに植えられたとみられる杉と檜が立ち並び、推定樹齢四百十年の杉「歴史の証人」がそびえる。
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第 140 回今この瞬間を、生きる
飛鳥水落遺跡(奈良県明日香村)。六六〇年、中大兄皇子が、日本で最初の水時計「漏刻」をつくり、民に時を知らせたと伝わる場所。石積みの基壇が復元され、かつての柱の位置に、木の柱が並んでいる。
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第 139 回良い時も、悪い時も
千股池(奈良県香芝市)。池の西の正面に、雄岳と雌岳のふたつの峰を並べた二上山が立つ。春分と秋分の前後には、夕日がちょうど、ふたつの峰のあいだへ沈んでいく。
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第 138 回自分の芯を持つ
法起寺(奈良県斑鳩町)。七〇六年に完成したとされる、現存最古の三重塔が立つ。塔の真ん中を、心柱と呼ばれる一本の柱が、下から上まで、まっすぐに通っている。
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第 137 回気持ちと心と体を、ひとつに
曽爾高原(奈良県曽爾村)。倶留尊山と亀山のふもとに広がる、すすきの草原。秋、木の階段をのぼって亀山峠に立つと、金色の穂の海が、風の道に沿って一枚の布のように波打っている。
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第 136 回別の角度から見てみる
鍋倉渓(奈良県山添村・神野山のふもと)。幅二十五メートル、長さ六百五十メートルの谷底を、大小の黒い岩が隙間なく埋めている。岩のはるか下には水が流れ、水面は見えないが、耳を澄ませば水音がする。
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第 135 回まず、自分を満たそう
飛火野の大楠(奈良市・春日大社表参道)。明治四十一年、宴に臨まれた明治天皇の玉座跡に植えられた記念樹。三本の楠が寄り添い、百年あまりをかけて、樹高二十メートルを超える大木に育った。今その下に、まるく大きな木陰が落ちる。
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第 134 回あなたに合った登り方でいい
若草山(奈良市)。奈良公園の東にそびえる、芝におおわれた三段の丘。ふもとの南北二つのゲートから、まっすぐ芝の急斜面を登る道と、林の中をゆるやかに折れて登る道が分かれ、やがて古い墳丘のある三重目で一つに合わさる。
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第 133 回失ったことに、感謝できる日もある
大仏鉄道跡(加茂〜奈良)。明治のわずか九年間だけ走り、平坦な新ルートに役目を譲って消えた「幻の鉄道」。今その廃線跡は、赤煉瓦のアーチや石積みの橋台が田のあいだに残る、静かな散歩道になっている。
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第 132 回存在するだけで、尊い
亀石(明日香村川原)。飛鳥の田園に半ば埋もれて置かれた、亀に似た巨石。いつ、何のために造られたのかは、今もわからない。何かの境界石とも、仏教が伝わる前の信仰の名残とも言われる。
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第 131 回今日をどう生きるかは、あなたの特権
不退寺(奈良市法蓮町)。かつて都の頂点にあった平城天皇が、政変の後にすべてを終え、この地に営んだ仮の御所。その跡地に、子孫の在原業平が建てたのは、二度と後戻りしないという名の寺だった。
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第 130 回「当たり前」に感謝しよう
法隆寺(斑鳩)。飛鳥時代の終わりに建てられ、千三百年あまり立ち続ける世界最古の木造建築。山で育った檜、飛鳥の工人、代々の宮大工の手入れ、五十年をかけた昭和の大修理——いくつもの手が重なって、いまも五重塔は倒れずに立っている。
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第 129 回より良いことが起きる前触れかも知れない
秋篠寺(奈良市)。奈良の都の時代、最後の官の寺として大伽藍に構えられたが、保延元年の火で講堂をのぞく堂塔を焼失。残った講堂を鎌倉時代に建てなおした本堂の中に、天平の頭と鎌倉の体が継がれ、つなぎ目の見えない伎芸天の像が立つ。
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第 128 回世の中は成るべくして成っている
慈光院(大和郡山市小泉)。寛文三年、茶人・片桐石州が亡き父の菩提のために建てた寺。書院の前の白砂とつつじの大刈込、その低い生垣の向こうに大和の平野がありのままに広がる借景の庭。
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第 127 回「私は悲劇のヒロインではない」
興福寺・国宝館の阿修羅像(奈良市)。天平六年、光明皇后が亡き母のために建てた西金堂の八部衆のひとつ。修羅道の名を負いながら戦いから身をひるがえし、正面の顔は眉を寄せ唇をわずかに開いて、何かを言いかけたまま立っている。
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第 126 回時々立ち止まり、来た道を振り返る
阿騎野・人麻呂公園(宇陀市大宇陀)。飛鳥時代、軽皇子の狩りに随行した柿本人麻呂が、明け方に来し方を振り返り、一首を詠んだ野。掘立柱の建物と、馬上の歌人の像が芝生に立つ情景。
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第 125 回「やりたいから」に変える
入江泰吉記念奈良市写真美術館(奈良市高畑町)。戦後、夜明け前から大和路へ通い、四十年あまり奈良を撮り続けた写真家。その八万点を超える写真が、瓦屋根の浮かぶ静かな建物に収められている情景。
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第 124 回既にあるものに目を向ける
馬見丘陵公園(河合町〜広陵町)。四〜六世紀の古墳群が点在する広い園で、冬の蝋梅から秋のコキアまで、どれか一つの花畑が終わっても、どこかでは別の花が満開を迎えている情景。
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第 123 回そっと、手を差し伸べる
柳生街道「滝坂の道」の夕日観音(奈良市)。呼び止めることも、後を追うこともなく、ただ谷を向いて岩に在り続ける鎌倉時代の磨崖仏の情景。
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第 122 回テクニックは、後から付いてくる
奈良豆比古神社(奈良市)。幼い頃から幾度となく型を体に染み込ませ、ようやく舞台に立つことを許される奉納舞「翁舞」の情景。
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第 121 回その人の靴を履こう
長谷寺(桜井市・西国三十三所第八番)。何百年もの間、幾千幾万の手が観音の御足に触れ、黒く磨いてきた情景。
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第 120 回人生は、『答え』を探す旅
金峯山寺・蔵王堂(吉野山)。幾山幾谷を歩き続けた末に、自らの手で答えにたどり着いた行者の情景。
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第 119 回今までの人生は、壮大な「前振り」だった
壺阪寺(高取町・壺坂霊験記)。三年にわたる祈りの果てに、観音の霊験で光を取り戻した沢市とお里の情景。
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第 118 回忙しい中でも、心を亡くさずに
薬師寺(奈良市西ノ京)。享禄の兵火で失われた金堂を、一巻千円の写経勧進で百万巻集め蘇らせた高田好胤師と人々の情景。
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第 117 回既に叶ったかのように、今日を楽しもう
龍鎮神社(宇陀市・龍神が棲むと伝わるエメラルド色の滝壺)、江戸時代、雨乞いの聖地を探し求めた人々。まだ降らぬ雨を信じて祈り続けた情景。
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第 116 回その自信を胸に、次に進もう
東大寺・二月堂、急な石段の先にある舞台からは、大仏殿の甍と奈良の街並みが一望できる。
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第 115 回小さな『0→1』の積み重ねが、大きな『0→1』へ
松尾寺(大和郡山市・日本最古の厄除け霊場)、養老二年、日本書紀の完成を願い舎人親王が建立。石段の先にひっそりと佇む本堂。
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第 114 回今日という日を、自分で決める
率川神社(奈良市内最古)、中央に鎮まる姫神を、父母神が両側から見守るように祀る古社。子供の守り神として知られる。
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第 113 回知らないことが、視野を広げる
錦光園(奈良町)、生の墨を手で握って形づくる「にぎり墨」体験。想像よりもずっと大変な、墨職人の世界の入口。
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第 112 回小さな一歩から、始めよう
五劫院、アフロヘアーのような螺髪の阿弥陀仏。法蔵菩薩が阿弥陀如来になるまで、五劫という気の遠くなる時間、思惟を重ね続けた証。
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第 111 回日々是一期一会
元興寺・極楽坊(奈良町)、学友・頼光を亡くした智光が、夢に見た浄土の情景を描かせたと伝わる智光曼荼羅の物語。
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第 110 回知るという、最初の一歩
戒壇堂(東大寺)、鑑真和上が戒律を授けた場所。四天王像が今も変わらぬ眼差しで、何かを見据え続けている。
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第 109 回驕らない、という強さ
飛鳥宮跡(明日香村)、乙巳の変で権勢を誇った蘇我入鹿が討たれ、その権勢が潮のように引いていった場所。今は稲穂の揺れる田園に礎石だけが残る。
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第 108 回気づかぬうちの成長
良弁杉(東大寺・二月堂)、台風で倒れた先代を継ぎ、長い歳月をかけて幹を太らせてきた杉。毎日通る人には気づかれない、静かな成長の情景。
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第 107 回誰もが、人生のクリエイター
大和文華館(学園前)、一人の願いから何もない土地に生み出された美術館。館内の作品もまた、誰かの手で一から生み出されたもの。
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第 106 回遠回りという近道
信貴山(平群町)、幾重にも折れ曲がる九十九折れの石段。遠回りに見えるその道こそが、頂きへたどり着くただ一つの道筋。
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第 105 回一歩ごとの均衡
谷瀬の吊り橋(十津川村)、一歩踏み出すたびにわずかに揺れる橋の上で、右にも左にも傾き過ぎない歩き方を見つけていく。
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第 104 回頭を垂れる稲穂のように
稲渕の棚田(明日香村)、実りの重みに、あれほど胸を張っていた稲穂が一つ、また一つと頭を垂れていく。
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第 103 回ご縁に感謝しよう
談山神社(桜井市)、蹴鞠の場で拾われた一足の履から始まった出会いが、やがて大化の改新へとつながっていった。
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第 102 回類は友を呼ぶ
なら燈花会(奈良市)、一つの小さな灯りが隣の灯りを呼び集め、やがて奈良公園全体が温かな光の海となる。
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第 101 回全てはつながっている
東大寺・大仏殿(奈良市)、二度の兵火で焼け落ちながらも、その都度違う時代の人々の手によって蘇ってきた。
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第 100 回右を向く勇気
春日大社・砂ずりの藤(奈良市)、同じ棚の下で、一本だけが誰よりも長く、地面へと伸び続けている。
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第 099 回世界という『学び舎』に、正解はない
室生寺・女人高野(宇陀市)、高野山が女性に扉を閉ざしていた頃、この山は静かにもう一つの道を開いていた。
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第 098 回本当の『自由』を、謳歌する
若草山の山焼き(奈良市)、奈良市消防団の重い責任があってこそ、春にはまた同じ開けた稜線が戻ってくる。
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第 097 回過程を、楽しもうじゃないか
春日大社の式年造替(奈良市)、設計図だけでは表せない技と思いが、二十年に一度、静かに人から人へと受け継がれていく。
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第 096 回出会うべくして、出会っている
信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町)、参拝者もまた、それぞれの人生でめぐり合ってきた人やものを、静かに思い返す。
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第 095 回八百万の神々 — 個性を認める、懐の深い文化
春日大社の杜(奈良市)、そこに神がいると信じる心が、静かにその場所を支えている。
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第 094 回経験こそが、あなたの財産になる
暗越奈良街道(奈良市〜大阪府境)、石畳を踏みしめるたび、旅人の中にはまだ誰も気づいていない何かが、静かに積み重なっていく。
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第 093 回豊かさは、与えることから生まれる
法華寺(奈良市)、皇后が手にしたのは、位でも財でもなく、与えたその瞬間にすでに満たされていたものだったのかもしれない。
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第 092 回時を伸ばす方法
東大寺・南大門(奈良市)、今この瞬間、南大門を吹き抜けていく風もまた、二度とは巡り会えないものなのかもしれない。
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第 091 回見守ることは、尊重すること
東大寺法華堂(奈良市)、何も言わず、ただそこに立ち続けること。それもまた、ひとつの優しさなのかもしれない。
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第 090 回遠回りこそが、一番の近道
般若寺(奈良市)、華やかに見える一面の花畑も、その正体は無数の小さな積み重ね。遠回りに見えたその道のりこそが、いちばんの近道だったのかもしれない。
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第 089 回あなたのペースでいい
喜光寺(奈良市)、蓮は、誰かと開花を競っているわけではない。ただ、自分の時間を生きているだけ。それだけで、もう十分に美しい。
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第 088 回人生に感謝、新たな一日を
帯解寺(奈良市)、誰の人生も、山あり谷ありの道のりを経て、今日という一日にたどり着いている。
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第 087 回他者貢献という、私なりの答え
東大寺・大仏殿(奈良市)、大仏の右手は、今も何かをそっと差し出すような形で止まったままである。
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第 086 回程よく、さりげなく
采女神社・猿沢池畔(奈良市)、誰かのためを思う気持ちに、決まった形はない。ときには、そっと向きを変えるだけの、小さなやさしさでいい。
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第 085 回人生に『遅すぎる』はない
東大寺・鐘楼(奈良市)、あの鐘の音は、今日もまた、誰かの心に静かに届いているだろう。
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第 084 回与えよ、さらば与えられん
手向山八幡宮(奈良市)、手向山を後にしても、あの木漏れ日の涼しさだけは、しばらく肩の上に残っていた。
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第 083 回船長も、社長も、あなた自身
大和郡山城跡の堀(大和郡山市)、次にその上を渡る舟が、どんな帆を掲げ、どこを目指すのか、それを決めるのは、水でも堀でもない。
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第 082 回自分を縛っているのは、自分自身
転害門(東大寺)、動いたのは、門ではなく自分の足だったのだと、遅れて気づく。
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第 081 回彼を知り、己を知る
相撲神社(桜井市)、相手を見つめることは、いつしか自分自身を見つめることにもつながっていたのかもしれない。
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第 080 回習うより慣れろ
赤膚焼の窯元(大和郡山市)、教わったことを、本当の意味で自分のものにするのは、いつも手を動かし続けた者だけなのかもしれない。
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第 079 回急かさず、見守るということ
氷室神社(奈良市)、早くても遅くても、それはその木だけのリズムだ。花が咲くその瞬間まで、ただそこに佇み、静かに見上げていたい。
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第 078 回壁を高くしていたのは自分自身
一刀石(奈良市柳生)、あの夜の暗闇の中で振り下ろされた一太刀は、確かに何かを両断した。今も静かに、二つに裂かれたまま、そこに横たわっている。
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第 077 回自分の限界を決めるのは自分自身
大台ヶ原(吉野郡上北山村)、目に映る景色に境界がないのと同じように、心に描く可能性にも、本当は境界などないのかもしれない。
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第 076 回他人はあなたを映す鏡だ
十輪院(奈良市・ならまち)、誰かを裁く声は、そこには一つもなかった。ただ、それぞれがそこに在り続けているだけだった。
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第 075 回1日1日が『一期一会』なのである
頭塔(奈良市高畑)、かつての姿を知らずとも、この場所は今日も確かにここにある。それでいい、と石段は語っているようだった。
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第 074 回半歩であっても進んでいる
正暦寺(奈良市・菩提山)、静かな山の中で、時間はゆっくりと流れる。急がなくても、道は続いている。
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第 073 回人生はマラソンの様なもの
葛城古道(御所市)、道の長さは、歩き出す前から決まっている。変えられるのは、歩き方だけだ。
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第 072 回あなたの存在が、あなたの笑顔が
依水園(奈良市)、あなたがここにいてくれること、それがすでに、誰かの心の光になっている。
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第 071 回新しい事をすると起きることの1つ
西大寺(奈良市)、小さな一歩は、いつだって予期しないものを連れてくる。
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第 070 回まずは、知ってみよう。知ることが不安を和らげ、新しい挑戦への勇気になる。
般若寺(奈良市)、知ることの入口は、どこにでも用意されている。
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第 069 回他者貢献は自己犠牲ではない。まず自分を満たそう。
吉野水分神社(吉野山)、自分が満たされて、初めて他者に貢献できる。
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第 068 回「人の振り見て我が振り直せ」に宿る2つの意味。周囲は自分を映す鏡。
吉城川(奈良公園)、周囲は自分を映す鏡である。
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第 067 回「誰誰のせいで、私の人生こうなった。」——これらは、自分の人生を他人に委ねる"呪い"の言葉。
當麻寺(葛城市・二上山のふもと)、自分の人生を操りたいなら、今すぐ使用をやめよう。
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第 066 回「物事がうまく進まない。」そんな時は、大いにもがこう。
大峰山(吉野郡・修験道の聖地)、安寧や、ぬるま湯は、退化するピンチ。
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第 065 回「あなたは今、何らかの苦境にいるかも知れない。」
高見山(東吉野村)、だから、今、この瞬間の苦しみをも楽しもうじゃないか!!
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第 064 回「『過程』にこそ、人生の醍醐味がある。」
大安寺(奈良市)、過程こそ日常であり、よって人生そのものである。
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第 063 回「もし、自分がいきなり何もかも出来る万能な人間だったら。」
柳生街道(奈良市東部)、『出来ない』を努力で『出来る』に変えて行く過程こそ、面白いのだから!!
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第 062 回「形あるものはいつか壊れる。この世に永遠なものなどない。」
飛鳥寺(明日香村)、恐れる必要はない。明けない夜はない。そして、夜明け前が一番暗い。
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第 061 回「最近は色々起きるね。以前は平和だったのに…。」
飛鳥川(明日香村)、変化こそが普通であり自然の摂理。平和で穏やかな日こそが、実は奇跡なのだ。
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第 060 回時々『引き算』(= 手放す。0にする)のススメ。
圓成寺の静寂な境内、多くの「足し算」で全身がんじがらめなら、時には「引き算」をしてみよう。
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第 059 回大事なのは、『忍耐と継続』。
秋篠寺の苔の境内、焦ってやると、筋が切れたり、筋肉を傷める。大事なのは忍耐と継続。
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第 058 回『是々非々』で生きるだけで、人生ずいぶん楽になる。
明日香村・稲渕の棚田、是々非々は、臨機応変。バランスの取れた生き方。
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第 057 回我々は、それぞれの人生を乗りこなすパイロット。
葛城山の山頂から奈良盆地と大阪平野を一望、どんな航路をたどるのか、決めるのは、あなたの自由だ!地図はない。あなたが自由に描けばいい。
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第 056 回自分を基準に、人を見てはいけない
大和三山の情景、人はどうしても無意識に自分を基準にして人を見てしまう。時には見下し、時には劣等感を感じる。人は人、自分は自分。人も自分も尊重すれば良い。
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第 055 回いつもの生活こそ『一期一会』の精神で生きよう!
奈良公園の鷺池に浮かぶ浮見堂、日頃なにげなく会っている人、通っている道、通っている場所との別れは、ある日突然やって来る。だから、いつもの生活こそ一期一会の精神で生きよう。
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第 054 回「だからこそ、" 仲間 " が尊い。」
白毫寺の丘から奈良市街を見渡して、人は1人で生まれ、1人でこの世を去る。だからこそ仲間が尊い。あなたの周りの仲間を尊重し、たいせつにしよう。
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第 053 回「他人の人生を生きてはいけない」
新薬師寺の十二神将で、他人の期待に応えようとしない。他人に期待しない。これを実践するだけで人生劇的に楽になる。
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第 052 回「今日も無事起きることが出来た。」
橿原神宮の夜明けで、起きる=新たに生まれる。みんな新しい誕生日おめでとう!!
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第 051 回「光と影。陽と陰。」
春日大社の参道で、どちらにフォーカスするかは、自分次第。
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第 050 回「千里の道も一歩から」
談山神社の石段で、小さなことから始めるのがコツ。
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第 049 回「かけがいのない今を楽しもう。」
山の辺の道で、日本最古の道。過程(プロセス)こそ、旅の本質であり、人生そのもの。
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第 048 回「鳥かごから出よう。」
鳥見山で、735mの山頂から大和盆地を見下ろすと、ふもとの道が細い糸のように見える。
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第 047 回「そうだ、あの人に手紙を書こう。」
今井町で、江戸の格子戸が連なる路地に、便利とはまったく別の時間が流れている。
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第 046 回「私は何も貢献出来ていないから...」
石上神宮で、深い杜の中、神の使いたちは誰に頼まれるでもなく、今日も境内を歩く。
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第 045 回『楽しいから笑う』のではなく、『笑うから楽しくなる』のである。
矢田寺で、梅雨の雨の中、一万株のあじさいが静かに咲く。
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第 044 回全ては偶然ではなく、『必然』ということになる。
佐保川で、水はひとつの流れとして、山から海へと続いていく。
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第 043 回損得への執着を断った時、心の豊かさが整ってくる。
正倉院で、1300年、静かにそこに在り続ける宝物の佇まい。
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第 042 回あなたは存在しているだけできちんと貢献してくれている。
春日山原始林で、見えない根が、静かにつながっている。
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第 041 回「前例がない?」では、前例になればいい。
ならまち・元興寺で、千三百年、ただそこに在り続けた瓦。
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第 040 回「我が生涯に一片の悔い無し」、あなたはそう言い切れるだろうか?
東大寺・二月堂で、一瞬の火の粉が教えてくれること。
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第 039 回行き詰まった時こそ、一歩引いてみよう
飛鳥の甘樫丘で、視野を広げると、問題はいつの間にか消えている。
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第 038 回形あるものは、いつか崩れる — それは新しい創造の始まり
室生寺五重塔の前で、崩れることは、終わりではない。
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第 037 回「したいからする」に勝るものはない — 内なる動機の力
東大寺南大門の仁王像の前で、義務か、想いか。
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第 036 回完璧を目指すことなかれ — 人生は成長し続ける旅
長谷寺の登廊で、歩き続けることそのものが、豊かさになる。
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第 035 回人と比較することなかれ — あなたにしかない輝きがある
大神神社で、あなたの輝きは、あなたにしか出せない色をしている。
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第 034 回また失敗しちゃった?良いじゃない。— 行動の証
平城宮跡で、失敗を悔やむ夜もあっていい。また動き出せるなら、それでいい。
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第 033 回他人は自分を映す鏡 — 飛鳥の静けさの中で
飛鳥で、世界は、自分が映し出す色で染まっている。
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第 032 回あなたとわたしは、つながっている — 唐招提寺で
唐招提寺で、与えることは、世界を広げること。
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第 031 回執着を断った時、人生が好転し始めた — 興福寺五重塔の前で
興福寺五重塔の前で、手放した先に、軽やかな風が吹く。
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第 030 回「いま」を楽しめなければ、楽しめる時は来ない — 薬師寺東塔の前で
1300年以上もここに立ち続ける薬師寺東塔の前で、「あなたは、いまを生きているか?」
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第 029 回『自己』が無ければ、他者に優しくできない — 東大寺の大仏が静かに問いかけること
1300年、ただ自らの軸を持って在り続ける東大寺の大仏、「あなたは、自分の軸を持っているか?」
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第 028 回『在る』ものに気づく — 若草山の丘で感じること
若草山の丘に立つとき、何もないはずの景色の中に、実はたくさんの「在る」ものが満ちている。
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第 027 回自分が選んで来た道 — 吉野山の参道が静かに教えること
吉野山の参道、一本ではない道を、自分の足で一歩ずつ登っていく。振り返ったとき、そこにあなただけの道がある。
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第 026 回感じるものだ、つくるものだ — 法隆寺が静かに伝えること
法隆寺・1400年の時の前に立つとき、「感じる力」と「つくる意志」が静かに問いかけてくる。
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第 025 回どれだけ心を込めたか — 唐招提寺と鑑真和上が伝えること
6度の渡航の末、失明してもなお心を込め続けた鑑真和上、唐招提寺が静かに伝える。
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第 024 回自分というフィルター — 価値観の違いを意識するとき
薬師寺の東塔と西塔、同じ空の下に並びながら、見る人によって全く違うものに映る。
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第 023 回天は乗り越えられない問題を与えない — 祖母が教えてくれた言葉
若草山は毎年炎に焼かれ、そして春、一番鮮やかな緑で蘇る。
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第 022 回そんなあなたのように — お地蔵さんから学ぶこと
奈良の街角にひっそりと佇むお地蔵さん、何も語らずに、ただ存在で教えてくれる。
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第 021 回タラレバは存在しない — 人生は成るべくして成っている
春日大社の石灯籠、何百年もその場所に立ち続けてきた、それが答え。
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第 020 回足し算と引き算 — 「不自由」を手放す
春日大社の「放生池」のほとりで、私たちが背負うものの中に、手放してもいいものが混じっているかもしれない。
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第 019 回人の数だけ、正解がある。
春日大社と興福寺、神と仏が1000年以上隣り合う奈良は、それを千年かけて証明し続けている。
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第 018 回天知る、地知る、己知る
春日大社の石燈籠は、千年もの間、誰に見せるでもなく、ただそこに在り続けてきた。奈良はそういう場所だ。
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第 017 回もっと、失敗と戯れよう!
法隆寺の瓦も、東大寺の大仏も、数え切れない失敗の先に生まれた。奈良の宝がそれを証明している。
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第 016 回限界を決めるのは、自分自身
1300年の時が積み重なる奈良の地で、時代を動かしたのは、いつも限界を自分で決めなかった人たちだった。
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第 015 回やるか、やらないか?
五月の奈良、参道で立ち止まって気づいた。前に進めたのは、いつも「やろう」と決めたあの一瞬だった。
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第 014 回この世に「当たり前」はない
いつもの奈良の朝、でも本当に「いつも通り」なのだろうか。
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第 013 回日々是一期一会
大和西大寺駅のホームで、ヨーロッパからの小さな旅人と交わした、ほんの一瞬の笑顔と手振り。
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第 012 回明けない夜はない
寒い夜明け前に目覚め、カーテンの端に差し込む光を見た朝のこと。
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第 011 回あなたの一言が、世界を良くする
駅のお手洗いで清掃員の方に自然と「ありがとう」と言えた、ある朝のこと。
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第 010 回生涯、学びの旅は続く
奈良を行き交う世界中の旅人を見て、ふと思い出した、30年前の記憶。
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第 009 回あなたの言葉が、あなたをつくる
五月の奈良の参道で気づいた、毎日使う言葉が、いつしか自分という人間をかたちづくる。
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第 008 回大疑大悟
世界中から人が訪れる奈良で、ふと思い出した、台湾の友人が贈ってくれた四文字。
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第 007 回自分の人生の創造主
ゴールデンウィークの奈良、古都の片隅で、静かに立ち止まった朝。
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第 006 回人に優しくなる方法
夜明け前の奈良、鳥の声だけが聞こえる早朝の静かな問い。
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第 005 回人生は、自己を探す旅
奈良・春日大社の参道で鹿を見ながら、自己を探すということ。
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第 004 回道中こそ『旅』そのもの
大雨と雷の奈良の朝、焦る自分への自省。
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第 003 回答えは自分の内にある
雨の奈良、自分と向き合う、静かな朝。
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第 002 回我々はなぜ「不安」になるのか
まほろばの国、奈良、早朝の静けさの中で。
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第 001 回自分が変われば、全てが変わる
奈良の静かな朝、50年間の人生を、振り返って。
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