明日、九月二十五日は、中秋の名月である。今年は暦の上の十五夜と満月の日がずれ、月がまんまるになるのは、二日後の二十七日の未明だという。今夜は、旧暦の八月十四日にあたる。昔の人はこの夜を「待宵(まつよい)」と呼び、明日の名月を待ちながら、わずかに欠けた月を眺めた。夕暮れの奈良公園から東を仰ぐと、春日大社の背後に、笠を伏せたような御蓋山(みかさやま)の姿が、暮れていく空に静かな輪郭を描いている。
千三百年ほど前、この山の名を、遠い異国で口にした人がいる。阿倍仲麻呂である。養老元年(七一七年)、仲麻呂は十九歳で、留学生として遣唐使の船に乗り、唐へ渡った。その年の二月、旅立ちを前にした遣唐使の一行は、この山の南の麓で神々をまつり、海の無事を祈ったと、『続日本紀』は伝えている。唐で仲麻呂は朝衡と名乗り、唐の朝廷に仕えて官職を重ね、李白や王維といった詩人たちとも、親しく交わった。
それから三十六年後の天平勝宝五年(七五三年)、仲麻呂は、藤原清河の率いる遣唐使とともに、日本へ帰る船に乗ることになった。明州(いまの寧波)で開かれた送別の宴で、仲麻呂は月を見て、こう詠んだと伝えられている。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」。けれども船は嵐に遭い、はるか南の、いまのベトナムの地へと流れ着いた。仲麻呂が海に沈んだという知らせは唐の都にも届き、李白は「明月帰らず碧海に沈む」と詠んで、その死を悼んだ。
いくら周囲から、 「悪い時もあれば、良い時もある。」 「人生悪いことばかりでもない。」 と言われても、 自分が不幸のどん底から抜け出せない時は、 人生において起こりうる。
そんな時は、半ば強制的に、そして意識的に 心を『良い』方向に向けると良い。
例えば、今日あった自分にとって『良いこと』や、 『嬉しかった』ことを3つ挙げてみよう。
どんな些細なことでも構わない。
そうすることで、自分の心の中に、 『気づいていないだけで既に存在している有難いこと』 に目を向ける素養が身に付く。
そうなれば、いつの間にか 不幸のどん底から抜け出しているだろう。
けれども、仲麻呂は生きていた。流れ着いた地から長安へ戻り、ふたたび唐の朝廷に仕えた。そして宝亀元年(七七〇年)、七十三歳で、故郷の土を踏むことなく、長安で世を去った。望郷の歌は、のちに百人一首の七番に選ばれ、いまも正月のかるた遊びで読み上げられている。今夜、奈良の東の空には、待宵の月がかかる。家路を急ぐ人の頭上にも、足を止めて見上げる人の頭上にも、その月は同じように照っている。明日の夜、もし雲が出たとしても、その向こうには、仲麻呂が見上げたのと同じ月がある。