河合町から広陵町にかけて、なだらかな丘の連なりの上に、馬見丘陵公園は広がっている。この一帯には、四世紀から六世紀にかけて築かれた馬見古墳群の墳丘が、十を超えて点在している。中でもナガレ山古墳は、全長百メートルほどの前方後円墳で、東の半分は築かれた当時のように葺石と円筒埴輪の列で覆われ、西の半分は千六百年の風雨を受けた芝地のまま整えられている。ひとつの丘が、遠い昔と今の姿を、並べて見せている。
この広い園を、花が季節ごとに受け継いでいく。冬のさなかには蝋梅が黄をこぼし、梅林がほのかに香る。春には桜とチューリップ、初夏には花菖蒲、夏にはひまわりが丈を伸ばし、秋にはダリアとコスモス、そして赤く色づくコキアの丘。どれかひとつの花畑が盛りを過ぎ、黒い土だけになっていても、園のどこか別の場所では、ちょうど別の花が満開を迎えている。
目当てのひと区画だけを見て歩けば、「今日はもう終わってしまった」と感じる時期もあるだろう。けれど、丘をひとつ越えた人は、その先で揺れている花の群れに出会う。古墳はそのあいだも、何を告げるでもなく、ただ丘の上に在り続けている。
嫌なことや、悪いことが重なって 気分が落ち込むこともあるだろう。
しかし、そんな時は思い出そう。
1年365日一生涯、そんなことばかりではないはずだ。
嫌なこと、悪いことの後ろには、 数多の、何事もない日や、 うれしいこと・楽しいことがあるはずである。
不足するものに目をやるのではなく、 既にあるものに目を向けよう。
日が傾くと、花壇の色はどれも少しずつ沈んでいく。今日ここを歩いた人が、どの花の前で立ち止まり、どの花を見ずに帰ったのか、園はいちいち覚えていない。ただ、次の季節にはまた別のひと区画が咲き、その次にはさらに別の場所が色づく。墳丘は千六百年、同じ丘の上でそれを見守ってきた。明日もどこかで、何かが咲いているのだろう。