奈良市を流れる佐保川の堤に、桜並木が続いている。下長慶橋のあたりから、JRの鉄橋のあたりまで、およそ五キロ。木の数は、千本ほどになる。九月の末の今は、花の季節ではない。葉は少しずつ色を変えはじめ、風が吹くたびに、一枚、また一枚と、水の面に落ちていく。堤の道を歩く人は、まばらである。
この桜並木には、はじまりがある。弘化三年(一八四六年)の正月、江戸から一人の役人が、奈良に着任した。奈良奉行、川路聖謨である。当時、乱伐によってはげ山となっていた多聞山城跡に、川路はおよそ五十万本の木を植えさせた。東大寺から興福寺のあたりを中心に、桜と楓の苗木を数千本植え、町の人々にも、ともに植えようと呼びかけた。その植樹は、高円から佐保の地域にまで及んだと伝えられている。佐保川の堤に植えられた桜は、今日、「川路桜」と呼ばれている。
嘉永三年(一八五〇年)の三月、それを記念して、一つの石碑が建てられた。「植桜楓之碑」という。碑文は川路自身の筆によるものと言われ、石碑は今も、猿沢池の北側、五十二段のかたわらに立っている。その翌年の六月、川路は大坂東町奉行に転じ、奈良を去った。あれから、百八十年近くが過ぎている。堤に残る樹齢百八十年ほどの染井吉野は、数本だけである。残りの木は、それより若い。
勇気を出して、人に「ありがとう」や、 「ごちそうさま」と言った時、又人に親切をした時、 その人から必ずしも思った『反応』を得られるとは限らない。
そんな時、決して相手を責めることなかれ。
相手はただ聞こえなかったかも知れないし、 お礼を言われ慣れていない・親切をされ慣れていないから、 どう反応していいか戸惑っただけかも知れない。
そもそも、何か『反応』を得るために、 人にお礼を伝えたり、親切をしたのではないだろう?
それとも、何らかの見返りを求めての行動だったのだろうか?
もちろん相手から『反応』があると、 自分としても嬉しいことは確かだろう。
しかし、自分が伝えたいからお礼を伝え、 又、自分がしたいから親切をしたのであれば、 相手から『反応』があるかないかは 本来関係のない話のはずだ。
見返りを求めないGiveの精神で人に接しよう。
葉が一枚、水の面に落ちて、流れにのって離れていく。すぐに、また一枚。百八十年前、この土に入れられた苗木は、片手で握れるほどの細さだったはずだ。それを植えた人が、今のこの木々を見ることは、どうやってもかなわない。春が来れば、堤はしばらくのあいだ淡い色に染まり、人々が川沿いに集まってくる。そのなかで、最初に木を植えた人の名を思い浮かべる人は、そう多くないだろう。それでも桜は、今年も咲く。