第 129 回

より良いことが起きる前触れかも知れない

奈良市の北西、秋篠の里に、秋篠寺という寺がある。奈良の都の時代の、最後の官の寺として造られた。宝亀のころ(八世紀の終わり)、光仁天皇の勅願で、法相の学僧・善珠が開いたと伝えられ、造営は次の桓武天皇の代まで続いた。金堂があり、東と西に塔が立ち、講堂があり、大きな伽藍として構えられていた。

保延元年(一一三五年)、火が入り、講堂をのぞく主な堂塔が焼け落ちた。都はとうに他へ移っていて、寺をふたたび同じ大きさに建て直す力はなかった。焼け残った講堂が、のちに手を入れられ、本堂として建てなおされた。旧講堂の場所に立ついまの国宝の堂は、鎌倉時代の再建で、奈良時代の様式に、鎌倉の細部が重なった姿をしている。

その本堂の中に、伎芸天と呼ばれる像が立っている。技芸をつかさどる天女で、この名の古い彫像は、日本ではこの一体しか知られていない。頭は、天平のむかしに脱活乾漆でつくられたものが、そのまま伝わっている。体は、ずっとのちの鎌倉の世に、木で新しく彫りつがれた。二つの時代が一体の像の中で継がれているのに、見上げても、そのつなぎ目がどこにあるのかは分からない。

自分が予定していたり、想定していたことが、 成就しないということは、 人生においてよくあることだ。

そんな時、落胆することなかれ。

その後に、自分が想定していなかった、 もっと良い結果が待ち受けていることも、 人生においてはよくあることだからだ。

何か自分が予定・想定していたことが 叶わなかった時は、 「これはより良いことが起きる前触れかも知れない。」と ワクワクしよう。

その想いが、実際のより良い結果に あなたを導いてくれるだろう。

本堂の中は、昼でも薄暗く、しんとしている。訪れた人は、伎芸天の前で、思っていたより長く足を止める。奈良の都が思い描いた大伽藍は、ついに描いたとおりには完成しなかった。火のあとに残ったものは、より小さく、より新しく、いくつもの時代を継ぎ合わせてできている。それでも、遠くからわざわざ会いに来る人があるのは、この像の前だ。天平の頭は、はじめの体を失い、何百年もあとに、別の体と継がれた。その前に立つ人は、どれだけ目をこらしても、継ぎ目を見つけられない。

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