明日香村の川原という地に、亀石と呼ばれる石がある。長さ三メートル半ほどの花崗岩で、下のほうに、大きな顔のような彫りがある。目のあたりはくぼみ、口の端がわずかに上がって、亀とも蛙ともつかない、とぼけた顔をしている。石は、田んぼの縁に半分ほど埋もれて、南西の方角を向いて置かれている。
いつ、誰が、何のために造ったのかは、わかっていない。かつて近くにあった川原寺の境界を示す石ではないか、とも、仏教が伝わるより前の、この土地の信仰の名残ではないか、とも言われるが、どれも推測の域を出ない。確かなことは、何ひとつ残っていない。
この地には、こんな話も伝わっている。大和がまだ湖だったころ、この川原と、対岸の当麻とのあいだで争いが起こり、水を当麻に取られて、湖の亀がみな死んでしまった。里の人はそれを哀れみ、亀のかたちを石に刻んで供養した。もし亀が向きを変え、まっすぐ西の当麻をにらんだときには、奈良盆地はふたたび泥の海に沈むのだという。石の細かな溝には、地衣がついている。雨が降ると、背のくぼみに水がたまり、しばらくすると乾いていく。飛鳥の道を歩く人は、絵地図をたよりにここへ来て、石の前で立ち止まり、その顔をひとしきり眺めてから、また次の史跡へと歩いていく。
人生において、ついつい 『何者かにならないといけない。』と無意識に 思ってしまっているのではないだろうか?
それは、理想をかかげ、努力を重ねて 成長につながることになる可能性もある一方で、 焦りや、苛立ちをももたらす。
「こんなはずじゃなかったのに…。」
そんな苦しみがあなたを押しつぶす前に、 『何者かにならないといけない。』 という思いを捨て去ろう。
あなたは存在するだけで尊いのだから。
石は、何かをしているわけではない。田を耕すでもなく、墓を守るでもなく、もとが何のための石だったのかも、もうわからない。それでも、里の人は昔から、この石を自分たちの土地のものとして数えてきた。日が傾くと、亀とも蛙ともつかないその顔に、やわらかい光が差す。学校帰りの子どもが、通りすがりに「またな」と声をかけて、家のほうへ帰っていく。